沖縄県医師会のご紹介

沖縄県医師会長挨拶

沖縄県医師会長 田名 毅(たな たけし)

 令和6年6月に沖縄県医師会会長に就任いたしました田名毅です。
 私が考える医師会の未来像についてお話しいたします。
 私たちの目標は、県内の医療課題を解決する実行力のある医師会を築くことです。
 そのためには、現場の医療関係者としっかりコミュニケーションを取り、具体的な課題を把握していくことが重要です。
 例えば、夜間救急における小児受診の増加という問題については、関係する医師と共に問題の本質を探り、具体的な対応策を検討していきます。今後は、病院長会議などを通じて現実的な解決策を模索していきます。
 医師会の各種事業については、会員の増強、医療保険対策、医療DX、ICTの推進、病院長会議の活性化など、幅広く取り組んで参ります。特に、医療保険対策や医療DXの推進に力を入れ、産業保健や離島医療への対応も強化していきます。また、長寿復活や未来ある子ども支援対策、メンタルヘルス対策といった県民向けの健康対策にも注力し、広報活動なども充実させます。
 また、行政と連携強化を図りながら、医療介護連携や看護師不足への対策も急務と考え、超高齢化社会における災害対策にも力を入れます。
 このホームページでは、会員向けの情報発信に加えて、県民の皆様に沖縄県医師会の活動を紹介すると共に、健康・医療情報を掲載して参ります。
 結びに、日常診療で見えてくる現場の声を大切にし、医師会の運営に反映させていきたいと考えておりますので、本会の活動へのご理解とご協力をどうぞよろしくお願いいたします。 

沖縄県医師会沿革

沖縄県医師会は、古くは1903年(明治36年)に設立され、以来、時代の変遷の中で、解散と設立を幾度となく繰り返しながら活動を続けてきた。しかし、1944年(昭和19年)10月10日に、米軍機による大空襲(通称十・十空襲)で県病院をはじめ医療機関の大部分が集中していた県都那覇市が壊滅状態となり、医療活動は不可能となったことから、その時点で戦前の沖縄県医師会は事実上の解消となった。

 終戦直後は、医師会に代わる組織として、1946年(昭和21年)5月、米軍の指令により沖縄医療団会議が設立されたが、医学会の開催等が活動の中心であった。

 1951年(昭和26年)2月23日には沖縄群島医師会が発足、続いて宮古群島医師会、八重山群島医師会も発足した。これが、戦後の沖縄県医師会の創始となった。

 1953年(昭和28年)12月28日に、沖縄、宮古、八重山の3群島医師会が合併し、沖縄医師会へ改組され、1956年11月16日に法人の認可を受け、社団法人沖縄医師会となった。同年、傘下として、北部、中部、那覇、糸満、知念、宮古、八重山の地区医師会がおかれた。

 その後、公務員医師会、琉球大学医師会、国療沖縄公務員医師会、那覇市立病院医師会、浦添市医師会が加入し現在の11地区医師会となっている。

 1972年5月15日に祖国復帰を迎え、社団法人沖縄医師会は社団法人沖縄県医師会となり、同年7月3日には本会会員321名の日本医師会への加入が承認された。この頃より、医師会活動も幅広くなり、医師会事業の3本柱である“地域医療”、“学術”、“医政”を積極的に展開し、現在に至っている。

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