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■いきいきグループ紹介

金沢大学医学部同窓会近況報告

金沢大学医学部同窓会 支部長・おおうらクリニック 大浦 孝


金沢大学医学部十全同窓会 沖縄県支部総会
金沢大学医学部十全同窓会 沖縄県支部総会
(2005年3月12日(土)於ホテル日航那覇)

恒例の沖縄県支部総会は3月12日(土)、ホテル日航那覇で開催されました。40名の会員中16名の出席でした。会員は昭和31年卒から平成2年卒まで続いておりますが、琉球大学に医学部が創設されてから金大入学者は僅少となり枯渇した集団となりつつあります。誰かが、天然記念物となった朱鷲の集団みたいなものだと語っておりました。そのまま高齢化し、先細りとなる運命をもった希少価値のある種ということでしょうか。しかしながら自然現象、社会現象には予測できない事も起こるものです。会員40名は全て県出身者でいわゆるユーターン組ですが、最近他府県からの金大卒の若い会員が研修、就職している事が判明致しました。中国からプレゼントされた朱鷲みたいなものでしょうか。大事に順調に成育してほしいものです。この現象は今後も続くものと思われます。ちなみに沖縄には石川県人会がありますし、この地でVIPになられた方もおります。又この地で毎年開催される、旧制高校の寮歌祭には御高齢の四校生がかの地からはるばる御臨席下さいます。例の四校生の服装と風貌となり、我々と伴に「北の都」「南下軍の歌」を高吟し、満足され、お帰りになります。中村草田男の一句「降る雪や 明治は遠く なりにけり」を思い出し、更に遠く、奥深くなった時を実感する次第です。

さて当日の支部総会は天候不順で“オキナワタイム”となり30分も遅刻して幹事 安里 公の司会でスタートとなりました。小生(支部長 大浦孝)の一年間の経過報告と連絡事項がありました。次に御多忙の折、時間をさいて御臨席下さいました 会長 竹田 亮祐 名誉教授の「医の倫理」の御講話にはその場に大きなインパクトがありました。

「ヒポクラテスの誓い」に始まり、「ヘルシンキ宣言」「日本医師会条文」等歴史的、哲学的(情緒的)に倫理(=モラル)のブレを御紹介下さり、後半ではより現代的で身近な文献を引用され、話題、問題を提起されました。即座に反応がありました。「新しき生命−人工受精−」「医療行為の継続と中止の時期」「生きる権利」と「死ぬる権利」「その文言化」と話題続出で、火を灯け、火が燃え上がりかけて時間が足りませんでした。一人、一人に個別的に訴える御講話でありましたし、又一人、一人が問題意識を内蔵しながら日常の診療に努めていることを認識し感動した次第です。

燃え上がりかけて記念撮影のお呼びがかかりました。恐らくかの話題は永遠なる課題といえるでしょう。そこでその想いを記念撮影で水を指すこととなりました。後半は大正時代の貴重な記録フィルムを会長の解説付きで拝見し、金城 国昭 前支部長の御挨拶と乾杯の音頭で懇親会に入った次第です。それぞれのテーブルで近況報告と最近の医療事情が話題となり談笑の場となりました。談笑の花盛りで宴もたけなわのところで時間となりましたので国吉勲先生のお礼の言葉があり中締めとなりました。

ところで今回は同窓会報編集長 山本 博 教授の粋な取り計らいで金大の学生さん 杉原 裕基 君(4年生)が、同時進行形で「十全学術行脚第4回−沖縄」の取材として県内の5施設を訪問し、そこで活躍する先輩方を紹介することとなりました。これはgood idea で、学生実習としても同窓会活動の一環としても、公式のカリキュラムとして繰り込めないかと愚考した次第です。

学生さんの労をねぎらい、支部総会にも出席させ、会長ともども二次会までお付き合い願いました。
 学生さん曰く。「いずれ沖縄で研修します。」
 先輩曰く。  「まだ早い、卵からかえる頃合図するこっちゃ。」

当日の出席者
山城 則亮・金城 国昭・国吉  勲
久田友一郎・安谷屋茂男・大浦  孝
知名  保・安里  公・上原  元
仲里 博彦・外間 政利・堀川 恭偉
知念  弘・豊見山義隆・浜端 宏英
奥村耕一郎


 

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