沖縄県医師会 メディネット大樹おきなわ。
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■追悼文

吉田春子先生を偲んで

故 吉田春子 先生

同門の先生より吉田先生が体調を崩され、御入院されたとの知らせを受け、早速お伺いした所、先生は大変お元気で本当に病気ですかとお聞きした位でした。10月28日二度目のお見舞いに参りました時も、いつもの様に変わりなく喜んでお話をされ、もう少しで退院出来るとの事でしたので、次は御自宅の方に伺いますと笑顔で握手して、お別れしたのが最後になり、11月3日の訃報の電話を頂いた時は、余りにも突然で茫然自失の状態でありました。今年の同窓会の時も先生は100歳まで保障つきと言う話しになり、白寿のお祝いのプランを話した位でした。

私は初めて先生にお会いしたのが、昭和41年の年末で、先生は私の為に、同窓会(東京女子医科大学同窓会)を開いて下さり、故千原先生、故大浜先生、名渡山先生、その他4〜5名の先生方がお集まり下さり、初めてお会いしたのに以前よりの知り合いの様に思われ、同窓の諠、先輩の素晴らしさに感激し、先生方のお話は面白く、戦前・戦中・戦後の母校の話、吉岡弥生先生のお話そして沖縄のお話、先輩の先生方のスケールの大きさ、力強さ、素晴らしさに、感動したことを憶えております。又、先生と私との関わりの一つに謡があります。20年程前に以前より興味のあった、謡の会が那覇にもある事を知り、先生にお話した所、自分も習いたいと言われ、二人で週1回の同好会に入れて頂き声を張り上げて、25年位になりました。先生は沖縄や東京でも最年長でありましたがお年を感じさせない位お元気で、何事にも積極的に行動され、会の人々のお手本であり、希望の星の存在でした。渋谷の観世能楽堂の舞台に仕舞・太鼓・謡と立たれた時、その努力に、唯、唯、頭が下がる思いでした。

先生は数々の賞を受けておられますが、過日、先生の御遺影を見ながら、日本女医会と母校よりの女医会賞受賞のお話があり、私は、先生へ受賞の説得役を依頼され、お勧め致しましたが、自分は現役を退いているので頂く事は出来ないと御辞退になられました。その時は先生のお気持ちをお察し致しましたが、今になってみますともっと強く先生こそが最適任者であると説得しなかったことが、悔やまれてなりません。

先生は戦後原爆投下による被災地の長崎において、医療活動を続けて来られましたが、郷里の沖縄も長崎以上の戦災による惨禍をお知りになり、直ちに帰郷され、戦後の沖縄の過酷な医療状況の中で第一線の医療活動に従事され、更に小児保健衛生の向上における御功績は大きく、そして多くの子供達に笑顔をもたらした事を考える時、先生には女医会賞でなく、叙勲こそが相応しいのではなかったかと感じております。

今ここに、叙勲の変わりに先生との出会いのあった全ての人々で、大きな大きな感謝状を差し上げたいと存じます。

先生はいつも、沖縄の同窓会の最後に校歌を歌いましょうと提案なさいました。

私達の年代の者には、入学式と卒業式にしか歌った記憶がなく、先生を呆れさせたものでした。先生の心の中には、この校歌こそは青春の全であり、弥生先生の教えであり、至誠の精神そもものであったと理解できました。これからは同窓会の折りには、先生を偲び、校歌をうたおうと心に決めております。

先生のこれ迄の地域住民よりの尊敬と信頼、そして地域医療に尽くされました業績を称え、心よりご冥福を御祈り申し上げます。

長い間本当に御苦労様でございました。

そして安らかに、お眠り下さいませ。

最後に母校の校歌を書かせて頂きました。

(一) 東洋(ひがし)の国に咲きにおう 赤き心の花見ずや
   慈恵(めぐみ)の雨と露うけて 弥生の園に生い育ち
   水野ヶ原の深緑 滴(したた)る陰にほほ笑まい
   くすしき香り漂(ただよ)わせ 現世人(うつしよびと)を慰めつ
(三) 大海原に船出する 吾らが憧を君知や
   行く手に浪の荒くとも 病魔(やまい)の風の狂うとも
   至誠の光かざしつつ 神よりうけし此の職の
   果たすは吾ら幾百の 大和おみなの誇なれ

平成17年1月

嶺井医院 嶺井美津


吉田春子先生

〈ご略歴〉
昭和11年3月 東京女子医学専門学校卒業
昭和11年4月〜昭和12年8月 九州帝国大学医学部小児科学教室勤務
昭和12年9月〜昭和16年3月 福岡赤十字診療所小児科勤務
昭和16年4月〜昭和21年5月 佐世保相互病院小児科勤務
昭和21年6月〜昭和24年3月 佐世保市俵町に吉田小児科医院開業
昭和24年4月 ※本土より引き上げ故郷に戻る
昭和24年6月〜昭和26年3月 沖縄民政府 塩屋診療所勤務
昭和26年4月〜昭和27年10月 大宜味村塩屋にて吉田小児科医院開業
(付設 至誠託児所開設:昭和28年4月閉所)
昭和27年11月〜昭和30年11月 沖縄赤十字病院小児科勤務
昭和31年1月〜現在 那覇市内に吉田小児科医院開設
昭和35年4月〜昭和47年3月 那覇市立久茂地小学校学校医
平成3年6月 第76回沖縄県医師会医学会会頭

〈表彰歴〉
昭和29年2月 社会奉仕功労賞 (琉米親善委員会)
昭和29年5月 児童福祉事業協力功労賞 (琉球政府行政主席)
昭和40年1月 婦人会会務運営功労賞 (沖縄婦人連合会)
昭和40年1月 婦人教育育成功労賞 (琉球政府文教局長)
昭和47年4月 公衆衛生功労賞 (県公衆衛生協会長)
昭和50年3月 母子保健事業功労賞 (沖縄県知事)
昭和50年10月 母子保健家族計画事業功労賞 (厚生大臣)
平成3年11月 沖縄県功労者賞 (沖縄県知事)
平成11年5月 那覇市市政功労賞 (那覇市長)
平成15年1月 ノバルティス地域医療賞 (ノバルティス地域医療賞委員会)


 

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