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■地区医師会コーナー
国立病院の独立行政法人化
県医師会会員のご理解とご支援を

国療沖縄公務員医師会 会長 石 川 清 司
国療沖縄公務員医師会 会長 石 川 清 司 氏

国立大学と同様に、国立病院も平成16年4月1日をもって独立行政法人組織へ移行します。沖縄県におきましては、国療琉球病院と沖縄病院が独立行政法人へ移行し、ハンセン療養所の2施設は従来の形態で残ります。県医師会会員の皆様方のご理解とご支援を得るべく、簡単に解説いたします。

国立療養所沖縄病院も、療養所の文字を脱ぎ捨てて独立行政法人国立病院機構の中で「国立沖縄病院」として、国の政策医療を中心に診療を展開していきます。

沖縄県における国立病院設立の歴史は、本土とは大きく異なります。昭和23年、米軍占領下の沖縄民政府公衆衛生部金武保養院が、県内で初めての結核療養所として100床で開設されました。米軍払い下げの金武実業学校の校舎を改修して診療が開始されます。社会的に大きな問題となった沖縄の結核対策を推進すべく、昭和43年には460床にまで結核病床が増床されました。病床が極端に不足し、本土療養へと患者の送り出しも盛んでした。

昭和53年、現在地宜野湾市に新築移転し「国立療養所沖縄病院」がスタートします。おりしも、沖縄海洋博覧会の開催に間に合わせて開設されました。極度の医師不足の時代でした。劣悪な沖縄の医療事情を補完する形で開設されました。私が赴任した当時は、医局員は歯科を含めて11人でした。結核病床が250床もあり、内科医だけでは診療が不可能で、外科医も結核の患者さんを担当したものでした。

時代が大きく変わり、結核の患者数は激減し、現在入院療養中の患者さんは約60人です。医師の数は、約2倍になりました。診療内容は、結核から肺がんへと入れ替わってしまいました。それでも、過去の結核診療の技術は生かされ、最近行われた多剤耐性結核の2例の手術は無事成功をおさめました。

国立病院・療養所の今後の姿

独立行政法人国立病院機構は、全国の144の国立病院・療養所が一つの病院群を形成します。個々の病院が独立するのではありません。職員の身分は、国家公務員の身分が付与されます。このあたりが、大学の独立行政法人化とは異なるところです。しかし、業績の評価ができるよう経理を明確にするために、各施設ごとに財務諸表を作成し、法人全体の決算とあわせて評価された後に公表されることになっています。

国の医療政策として、国が担うべき医療のことを「政策医療」と呼びます。政策医療には、国民の健康に重大な影響がある「がん」「循環器病」等の19分野における高度で先駆的医療やハンセン病等の民間では対応が困難な医療、そして国の危機管理や積極的国際貢献等が含まれます。国立病院機構も、国の「政策医療」の機能を担う病院に変わりはありません。加えて、その地域のニーズに合わせて、地域医療にも貢献すべき使命を担っています。

高度先駆的医療の推進はもとより、新規薬剤の開発にともなう治験の推進、臨床研究の活性化、医師や看護師、他職種の臨床研修の場、そして県民・国民に正確な「医療情報」を提供する施設として整備をすすめていきます。地方から全国に発信できる医療・研究内容を目指します。

沖縄県の置かれた歴史的、社会的、地理的要因から沖縄県における地域医療は「地域完結型」の医療が求められるものと考えます。県民が容易にナショナルセンターを利用できる環境にはありません。各医療機関の機能分担が重要な意味を持ちます。医療資源の有効な活用と地域医療の診療水準の向上のためには、大学病院、県立病院、市立病院、民間医療機関の良好な連携が必須です。

結核の時代が終わり、生活習慣病の時代になりました。国立沖縄病院は、沖縄県における「呼吸器センター」「神経・筋センター」「がんセンター」的役割を担っていきたいと考えております。過去に3,000余例の肺がん診療のデータを蓄積し、先駆的医療・胸腔鏡下手術1,500例を達成しました。機構は変わっても、地域医療と連携し長寿県沖縄実現のために、国立医療もその役割を果たしていきたいと思います。

医師会の先生方のご理解とご支援を宜しくお願いいたします。


 

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