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■発言席
沖縄に来た聖なる菩提樹の歴史(後編)

長嶺胃腸科内科外科医院 長 嶺 信 夫
長嶺胃腸科内科外科医院 長 嶺 信 夫 氏

5. ブッダガヤの菩提樹のその後

ブッダガヤの菩提樹からセイロンへ菩提樹の分け樹が贈られたあと、初代のブッダガヤの菩提樹は仏教の布教に没頭するアショーカ王に嫉妬した王妃によって切られ、枯れてしまった。

写真3 ブッダガヤの聖なる菩提樹、樹の下に金剛法座がある樹とムラガンダ・クテイ寺院
写真3 ブッダガヤの聖なる菩提樹、樹の下に金剛法座がある
写真4 インド菩提樹協会創設者のダルマパーラ大師の胸像
写真4 インド菩提樹協会創設者のダルマパーラ大師の胸像
写真5 サールナートの聖なる菩提
写真5 サールナートの聖なる菩提樹とムラガンダ・クテイ寺院

ブッダガヤの初代の菩提樹と、その後、ジエタヴァナのアーナンダ菩提樹が枯れたため、アヌラーダプラのスリー・マハ菩提樹が植樹の時から現在までの経過が歴史的に記録されている世界で最も古い樹となっている。

現地ガイドの説明や資料によると、
1) 初代のブッダガヤの菩提樹がアショーカ王の王妃の指図で切られ、枯れた。
2) その後スリランカからの苗木を移植した2代目の菩提樹が紀元前1世紀に枯れ(ガイドの説明)
3) その後にはえた3代目の菩提樹が紀元5世紀に枯れ(ガイドの説明)
4) その後にはえた4代目の菩提樹が紀元12〜13世紀にイスラム教徒による仏教弾圧の際ブッダガヤの大塔とともに破壊され(ガイドの説明)
5) その後はえていた5代目(?)の菩提樹が1874年に枯れ(1903年発行のMaha Bodhi Journalに記載)
6) その後新しい樹が同じ場所に育った(写真3)。

ところで、正法寺のホームページに載っている「フォートギャラリー・天竺紀行」の記述では、現在の菩提樹は、“1876年嵐で倒れた古木の根から芽を出したもの”と記述している。しかし、2003年4月に放送された「世界・ふしぎ発見、スリランカ編」のテレビ番組では“その後、アヌラーダプラから再度株分けされたものである”と放送していた。ほかにもアヌラーダプラからの分け樹が移植されたと記載しているものが多い。現地ガイドも同じように説明していた。

このように、ブッダガヤの菩提樹に関しては、歴史書の記載が不十分なことや、12〜13世紀のイスラム教徒やヒンズー教徒による破壊の後、荒廃してジヤングルに埋もれていたのを19世紀後半にイギリス人の考古学者カニンガムによってなされた発掘調査までの間、菩提樹がどうなっていたのか不明な点が多い。

スメダ師は前述の著書の中で、1903年6月に発行されたMaha Bodhi Journalの中に記載されている次の箇所を原文のまま紹介している。

“その樹の下にある聖座にBhagawan Buddhaが座ったという聖なる菩提樹は今はない。この樹は1874年に破壊(was destroyed)された。この聖樹のひと枝(a branch)はアショーカ王の娘であるサンガミッタによってセイロンのアヌラーダプラに運ばれた。これは現在世界で最も古い歴史上の樹である。初代の樹が1874年に破壊された時、新しい樹(a new plant)がその場所で育ち、それは現在ブッダガヤの聖地にある。その樹は生き生きとしていて、緑の葉を茂らせている。”

この記録を見る限り、その後にはえた菩提樹が枯れた菩提樹の根元やその近くにあった苗木から育ったものか、あるいは、遠く海をへだてたスリランカのアヌラーダプラから新たに運んで植樹したのかは明確でない。現在、ブッダガヤの菩提樹はマハ・ボディ寺院とともに世界遺産に登録されている。

6. インド・サールナートの菩提樹

6ベナレス(ヴァラーナシ)郊外に位置するサールナート(Sarnath)の菩提樹について記載する時、インドにおける仏教の再興に尽くしたアナガリカ・ダルマパーラ(Anagarika Dharmapala, 1864〜1933年、写真4)大師ぬきでは語れない。以下スメダ師の著書とラストラパラ会長の挨拶の中から一部紹介する。

“ダルマパーラは1891年1月22日にはじめてブッダガヤを訪れている。彼は寺院の前に立った時、非常に感動するとともに、聖地の荒廃ぶりに胸がはりさけんばかりであった。彼は聖なる菩提樹の下にある金剛法座(Diamond Seat)のそばに座り、神聖な寺院の復元と仏教発祥の国に仏教を復興させるため、強大な布教団を発足させることを決心した。同年、インド菩提樹協会を創設している。

彼は特にブッダが初めて輪廻を説いた場所であるサールナートのイシパタナ鹿公園を賛えるため、立派なムラガンダ・クテイ寺院を建立することに力をそそいだ。

また、ダルマパーラは、スリランカにいる時、アヌラーダプラにある聖なる菩提樹の保護に非常に関心を持ち、菩提樹と寺院の保護に力をそそいでいる。その結果、アヌラーダプラは考古学上の都市という以外に、聖なる菩提樹のために世界的に有名になったのである。”

サールナートにおけるムラガンダ・クテイ寺院建設工事の当初から、ダルマパーラはスリランカのアヌラーダプラにある聖なる菩提樹の苗木を持ち帰ることを願い、持ち帰って移植する時期としてムラガンダ・クテイ寺院の落成の日を考えていた(Sumedha)。すなわち、ムラガンダ・クテイ寺院の栄光を世界的なものとして神聖化するため、アヌラーダプラのスリー・マハ菩提樹から3本の苗木をブッダ(Buddha、仏)、ダルマ(Dhamma、法、真理)、サンガ(Sangha、僧、仏教教団)の3宝(Triple Gem)と名付けてサールナートに運んだのである(Rashtrapala)。

ムラガンダ・クテイ寺院の歴史的落成式は1931年11月11日に挙行され、3本の菩提樹の苗木の植樹はその翌日おこなわれた(写真5)。

植樹はダルマパーラ大師自身や他の高僧、考古学会長などの手でなされ、それらの苗木が高くそびえ立ち、将来ダルマ(Dhamma)が世界中に輝かしい影を投げかけるように願い、全員でガンジス川の水を注いでいる(1931年12月発行 The Maha Bodhi Journal)。

ところで、1931年にサールナートに菩提樹が植えられてから今年(2003年)で72年になる。今回、菩提樹の贈呈式の前に特別に菩提樹が植えられている構内に入れてもらったが、3本の菩提樹は根元で合流し、根元から7〜8本の太い幹が枝わかれするようにのびていた(写真6)


 

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