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高嶺徳明顕彰碑文

高嶺徳明は1653年2月15日生まれ10才の時福州へ渡り3年間滞在して中国語に習熟した。後に 琉球王より魏姓を賜り中国名を魏士哲と称し琉球王府の中国語通事となった。時の琉球王尚 貞は孫尚益に口唇裂があることを深く憂慮しこれを整復する補唇術が福州にあることを知って 徳明にこの術の習得を命じた。徳明は福州に赴き補唇術を行う医師黄會友を訪ねてその術の 教示を懇願した。會友はこれを秘伝として教示を固辞したが徳明の熱意と真撃な人格に心を 動かされて徳明を身辺に置き昼夜補唇術を伝授した。徳明はついに13歳の童子の欠唇を師の 面前で療治し治癒させた。かくて會友からその傳方の一切を受け秘書一巻を授けられて1689年5月に 琉球に帰国した。帰国後沖縄で5人の欠唇を療治し中国で学んだ通りに治癒することを確認し 同年11月23日当時10歳の王孫尚益に補唇術を施し治癒させた。その後徳明はこの補唇術を薩摩藩 医伊佐敷道與に伝授した。 右上の主旨は高嶺家に現存する「魏氏家譜」に基づいている。

琉球史研究家東恩納寛淳・金城清松 らは徳明の補唇術が全身麻酔下で行われたと記載している。しかしその後の調査研究では全身麻酔の 停証は多数あるが確証が明らかでない。もし徳明の全身麻酔が事実とすればこれは華岡青州の全身麻酔 に先立つこと百余年前のことである。近年その確証を得る為日中の研究者が調査を続けておりその 成果が期待されている。

 

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